塚の鳴古墳とは? わかりやすく解説

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塚の鳴古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 20:58 UTC 版)

塚の鳴古墳

石室開口部
所在地 京都府京丹後市久美浜町甲山(字休場)
位置 北緯35度36分53.15秒 東経134度55分28.43秒 / 北緯35.6147639度 東経134.9245639度 / 35.6147639; 134.9245639座標: 北緯35度36分53.15秒 東経134度55分28.43秒 / 北緯35.6147639度 東経134.9245639度 / 35.6147639; 134.9245639
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 6世紀
史跡 なし
地図
塚の鳴古墳
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塚の鳴古墳(つかのなるこふん)は、京都府京丹後市久美浜町甲山にある古墳。史跡指定はされていない。

概要

京都府北部、川上谷川河口の北東、内海(蓮池として痕跡)に面した低丘陵上に築造された単独墳である[1]。これまでに墳丘は失われて石室も半壊しているほか、発掘調査は実施されていない[1]

埋葬施設は両袖式の横穴式石室であり、久美浜町内では有数の規模の石室になる。石室内に祀られる石像の銘から、17世紀後半にはすでに開口したとされる[1]。副葬品等の詳細は明らかでない[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀代と推定される。周辺は古墳が希薄な地域であるが、そのような地域にあって大型石室古墳として築造された点で貴重であり、被葬者としては内海(蓮池)を基盤とした有力者像が想定される[1]

埋葬施設

石室パース図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。石室の規模は次の通り[1]

  • 玄室:長さ4.8-5.1メートル、幅2.5-2.7メートル、高さ2.8メートル
  • 羨道:幅1.3-1.9メートル

玄室内には、元禄3年(1690年)銘の石造聖観世音菩薩像のほか、地蔵尊・大師像が祀られる[1]

脚注

参考文献

  • 史跡説明板(久美浜町教育委員会・久美浜町文化財保護委員会、1980年設置)
  • 「塚の鳴古墳」『京丹後市の考古資料 -京丹後市史資料編-』京丹後市、2010年。 

関連項目

  • 岩ヶ鼻古墳

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、塚の鳴古墳に関するカテゴリがあります。



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