地蔵峠が近道であった理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 07:48 UTC 版)
「地蔵峠 (杵築市)」の記事における「地蔵峠が近道であった理由」の解説
たとえば現在(2000年代)、宇佐市から日出町に行く場合、国道10号を通るのが一般的である。すなわち、立石峠を越え、立石、中山香、東山香を通り、赤松峠を越えて日出市街地に入るというルートである。ところが、この道が整備されたのは昭和に入ってからであり、それ以前は東山香・赤松間の八坂川べりの道が大変な難所であった。したがって、この道は敬遠され、鹿鳴越という峠を越える道のほうがよく使われていた。鹿鳴越は傾斜がきつく、荷車の通行がやっとの難路であったものの、赤松経由の道よりもずっと距離が近く、徒歩で移動するには鹿鳴越のほうが都合がよかったのである。 鹿鳴越には東鹿鳴越と西鹿鳴越があるが、どちらも盛んに利用された。すなわち、向野から地蔵峠を越えて山浦に出て、上(かみ)を通り、鹿鳴越を越え、日出に下るというルートである。地蔵峠ではなく立石峠を利用した場合、大変な回り道となることがわかる。なお、赤松峠を利用するルートであれば、地蔵峠よりも立石峠を利用したほうが近道となる。
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