国広山とは? わかりやすく解説

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国広山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 00:59 UTC 版)

国広山
国広山の写真
標高 316.8 m
所在地 広島県三次市和知町
位置
北緯34度48分36.3秒 東経132度54分56秒 / 北緯34.810083度 東経132.91556度 / 34.810083; 132.91556座標: 北緯34度48分36.3秒 東経132度54分56秒 / 北緯34.810083度 東経132.91556度 / 34.810083; 132.91556
プロジェクト 山
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国広山(くにひろやま)は、広島県三次市和知町に位置する。標高316.8メートルである。

地理

山頂には二つの瘤を有し、戦国時代の山城跡及び三等三角点がある。

鎌倉時代に国広石見の住居地、その後(1324年~1326年頃)、鎌倉幕府から代官職を任じられ下ってきた広沢実村(後に地名をとって和智氏と名乗る)、またはその2男和智(広沢)実成の住居地ではないかと『芸藩通志』に記述がみられるが、中国縦貫自動車道の建設途上で、それから東約1.5キロメートルの古城山城址で居住地跡が発見され、山頂の山城は時代が新しく戦国時代の築城と判定された。

この国広山城址は,陣山城址,天城山城址,岩倉山城址,龍王山城址及び国広山城址とが一体となった大規模な城址である[1]。国広山城は,山陰の尼子経久が安芸・備後両国への進出の拠点として築いたものと見られる[2]

この国広山には、NHK送信所,Docomo無線中継所があり、その建設道路が183号線和知町コミュニティホーム付近から上がっている。山頂の見通しが良いことから、JR芸備線下和知駅の他、三次市四拾貫町及び三次市中心部からも電波塔が見られる。また、国広山の四拾貫町側には,国広山古墳群がある。

城址群のそれぞれの位置は下記の通り。

脚注

  1. ^ 広島県教育委員会編『中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)』pp.226-258、1978年(昭和53年)3月
  2. ^ (株)創史社編;“『日本城郭大系』第13巻(広島・岡山)pp.122-124 第1刷,1980年(昭和55年)1月


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