営林署の誘致
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 15:16 UTC 版)
当時営林署は農山村にとって、700人近くの雇用をもたらす存在であった。畠山、そして合川町にとって七座営林署の移転は悲願であった。七座営林署は元々1929年に旧落合村の李岱に落合営林署として設立された。しかし1年半後七座村に移転され、営林署を失うこととなる。 七座村は昭和の大合併で鷹巣町と合併後、営林署を含む西部が二ツ井町に分割編入された。このことで、同町には二つの営林署が存在することになった。 畠山はこれを合川町に移転させるよう陳情を行った。二ツ井町は反発したものの、衆議院議員石田博英のとりなしもあって1958年11月に移転が決定、1959年に移転する。 誘致決定後、町営住宅の提供を行い、営林署を歓迎した。
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