和田旋回橋とは? わかりやすく解説

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和田旋回橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 13:10 UTC 版)

和田旋回橋を渡る和田岬線103系(2012年)

和田旋回橋(わだせんかいきょう)は、兵庫県神戸市兵庫区西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線和田岬線)の鉄道橋である。1899年明治32年)に日本初の鉄道用可動橋として完成した[1]

概要

和田岬線の兵庫駅和田岬駅との間で兵庫運河を渡る橋長15.5 mの橋梁であり、旋回式可動橋が特徴である。

もともとは山陽鉄道が建設した、日本最古かつ最初の鉄道可動橋[2]であるが、現在は回転機構がすべて撤去され固定されている。

2021年令和3年)9月28日土木学会選奨土木遺産に認定された[3][4]

歴史

神戸港の整備と山陽鉄道の建設

神戸港1868年の開港により港湾整備がなされたが、兵庫地区の和田岬付近には奈良時代大輪田泊を起源とする兵庫津が所在していた[1]。和田岬には幕末には和田岬砲台が整備されたほか、明治維新後には兵庫津にも突堤や防波堤が整備されるとともに、工場も建設されるようになった[1]

1888年1月には神戸下関を結ぶ私設鉄道として山陽鉄道が設立され、同年11月に同社の最初の区間として兵庫駅 - 明石駅間が開業した[1]。この山陽鉄道の建設用資材を輸送する路線として兵庫駅 - 和田崎町駅(後の和田岬駅)間の延長1マイル43チェーン(約2.5 km)が1890年に建設されており、後に和田岬線と呼ばれる区間となった[1]

兵庫駅 - 和田崎町駅間の和田支線は1890年7月8日に開業し、当初は資材運搬用の専用線として機能した[1]。山陽鉄道国有化後の1911年に旅客化されたが、和田岬線は朝夕ラッシュ時の通勤輸送に特化した路線となっている[5]

兵庫運河と和田旋回橋の新設

和田岬の周辺は潮流が早く強風も多発していたため、小型船を中心とする当時では危険が伴い、海難事故も相次いでいた[5]。小型船が和田岬を経由せずに安全に神戸港へ向かうルートを確保するための運河を開削し、1899年12月に兵庫運河が竣工した[6]。この運河と交差する山陽鉄道線では旋回橋が建設されることになり、1899年12月7日に鉄道橋として開通した[6]

設計・施工は兵庫運河を管理していた兵庫運河株式会社が山陽鉄道へ委託し、工事費は兵庫運河側が負担した[6]。工事期間中は仮設の橋梁を用いて線路を一時的に付け替えて運行していたと推定されている[7]

建設会社の大成建設は1963年に発行した社史で「山陰線下市橋梁上の試運転車」とする写真を掲載しているが、山陰本線下市駅付近で旋回橋の建設記録がないこと、この写真にある橋の外観が和田旋回橋に酷似すること、橋上の機関車の外観も山陽鉄道で1両のみ導入された8形39号機(国有化後は5060形5060号機)に酷似しているなどの状況から、実際には山陽鉄道の和田旋回橋で撮影されたものと判断されている[8][7]

構造

諸元

中央に設けた橋脚を軸に回転する旋回橋で、ガーター橋1桁・2径間の構成である[7]。桁長は56フィート6インチ(17.22 m)で、上路式プレートガーダー橋として設計された[7]。イギリス式プレートガーダーであり、補剛材の上下端が湾曲している。

中央の橋脚は直径15フィート(4.57 m)の円形橋脚で、和船(日本形船)やの航行を想定して橋台と橋脚の間に幅18フィート(5.49 m)の船舶通行路が確保された[7]。なお、橋長は山陽鉄道を国有化した旧国鉄では15.54 m、その他複数の文献では15.5 m(支間長7.7 m)とされている[9]

橋台と橋脚の構造はレンガ積みで、いわゆる「山陽形」が採用されている[7]。橋台は旋回橋の回転半径である28フィート3インチ(8.61 m)に合わせて湾曲しており、平面が一般的な中で日本全国的にも珍しい構造となっている[7]

線路は単線で、軌道は枕木を直接桁台に乗せる一般的な開床式が採用された[7]。枕木は長さ7フィート(2.13 m)、幅9インチ(0.23 m)、厚さ6インチ(0.15 m)のヒノキ材が使用され、中心基準から15インチ(0.38 m)間隔で並べられた[7]

旋回機構

旋回橋の動作に関する機構はすべて手動式で、操作はすべて人力で行われた[7]。列車の通行可能状態の可否は円板式信号機により指示されていた[10]

桁の回転にはハンドルが使用され、旋回方向は時計回り(右回り)であった[7]。列車が走行可能な状態が定位とされ、船舶が航行する際のみ旋回して船舶通過後は直ちに戻された[9]。列車通行時の最高速度は時速5マイル(8 km/h)以下とされていた[9]

兵庫運河は船舶の大型化とともに航行する船舶の数も減少し、第二次世界大戦後には貯木場などに利用されていた[9]。時期や経緯は不明なものの和田旋回橋の回転機構は撤去されて固定されており、レールも陸上部と連続している[9]

脚注

  1. ^ a b c d e f 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号、p.132
  2. ^ 和田旋回橋(鋼橋技術研究会)
  3. ^ 令和三年度土木学会選奨土木遺産が決まりました”. 土木学会 (2021年9月28日). 2021年9月28日閲覧。
  4. ^ 令和三年度 土木学会選奨土木遺産 一覧”. 土木学会 (2021年9月28日). 2021年9月28日閲覧。
  5. ^ a b 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号、p.133
  6. ^ a b c 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号、p.134
  7. ^ a b c d e f g h i j k 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号、p.135
  8. ^ 27 和田旋回橋 謎をかかえる現存最古の可動橋」『鉄の橋百選-近代日本のランドマーク』土木学会鋼構造委員会、1994年、pp.54-55
  9. ^ a b c d e 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号、p.137
  10. ^ 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号、p.136

参考文献

  • 小野田滋「日本の鉄道遺産 鉄道用可動橋の元祖 ―和田旋回橋―」『鉄道ファン』2014年1月号(No.633)、交友社、pp.132-137

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度39分36.9秒 東経135度10分1.6秒 / 北緯34.660250度 東経135.167111度 / 34.660250; 135.167111





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