含翠堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/16 13:58 UTC 版)
含翠堂(がんすいどう)は、日本初の民間人による郷学である。1717年(享保2年)に平野七名家の土橋友直ら[注 1]が設立した。1872年(明治5年)の学制発布により閉鎖し、大阪市立平野小学校に継承された[1][2]。
注釈
出典
- ^ a b c “22.含翠堂(がんすいどう)跡”. 大阪市教育委員会 事務局総務部文化財保護課. 生涯学習 > 歴史の散歩道 > 今里・平野郷コース(くらし > 文化・スポーツ・生涯学習 ) (2022年9月2日). 2023年3月30日閲覧。 “平野区平野宮町二丁目9-22地先。オオサカシティバス「平野宮町二丁目」下車 北側”
- ^ a b “含翠堂跡”. 大阪市. 2023年3月30日閲覧。
- ^ 森 1942, pp. 3-, 「(二)創立」
- ^ 平野区誌編集委員会 2005
- ^ 小学館: “郷学(ごうがく)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年3月30日閲覧。
- ^ 津田秀夫『近世民衆教育運動の展開 : 含翠堂にみる郷学思想の本質』御茶の水書房、東京、1978年。doi:10.11501/12040670。全国書誌番号:78016505。 国立国会図書館内/図書館・個人送信。
- ^ 石島庸男著「京都番組小学校創出の郷学的意義」『講座日本教育史2』所収(第一法規出版、1984年)
- ^ 石川謙『日本学校史の研究』(小学館、1960年)
- ^ 文部省 編『日本教育史資料 3』復刻版(臨川書店、1970年)
- ^ 梅渓昇・脇田修 編『平野含翠堂史料』(清文堂出版、1973年)
- ^ 森 1942, pp. 0013.jp2-, 「6 平野連歌所写真」
- ^ “第3回 「含翠堂」の巻”. hiranono.osaka.jp. ひらのの巻. 平野区 (2020年7月13日). 2023年3月30日閲覧。
- ^ 森 1942, pp. 0009.jp2-
- ^ 森 1942, pp. 0010.jp2-
- 1 含翠堂とは
- 2 含翠堂の概要
- 含翠堂のページへのリンク