名掛丁藤村広場とは? わかりやすく解説

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名掛丁藤村広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 06:11 UTC 版)

名掛丁藤村広場
Nakakecho Toson Square
入口(2025年3月18日)
分類 広場公園[1]
所在地
座標 北緯38度15分43.39秒 東経140度53分1.78秒 / 北緯38.2620528度 東経140.8838278度 / 38.2620528; 140.8838278座標: 北緯38度15分43.39秒 東経140度53分1.78秒 / 北緯38.2620528度 東経140.8838278度 / 38.2620528; 140.8838278
面積 0.1008 ha[1]
運営者 仙台市
事務所 宮城野区建設部公園課[1]
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名掛丁藤村広場(なかけちょうとうそんひろば)は、宮城県仙台市宮城野区名掛丁にある広場公園である[1]。かつて島崎藤村が下宿していた三浦屋の跡地に存在し、「日本近代詩発祥の地」とする詩碑が建てられている[2]

概要

2004年3月に完成。名前の由来は、日本近代詩の先駆けとなった詩集『若菜集』を書いた島崎藤村が下宿していた「三浦屋」があったことによる。 広場の面積は、1450平方メートル。40メートル四方の敷地に、『若菜集』の表紙画をモチーフにした蝶の図柄がカラーブロックで描かれている[3]

石碑

広場内には、3つの石碑が設置されている。

石碑「日本近代詩発祥の地」

広場の建設にあわせて設置された。『若菜集』の表紙図柄および「ここ三浦屋にありて 若き島崎藤村 日本近代詩の夜明けをつげる『若菜集』を生む」という文言が彫り込まれている[3]。なお、あわせて、1994年に名掛丁東名青年部が藤村下宿先の三浦屋跡地に建てた看板も、広場近くの鹽竈神社に移設されている。

詩碑「草枕」

『若菜集』のなかの一篇「草枕」を島崎藤村の直筆でしたためた石碑。2007年9月に仙台市青葉区にある青葉山城址より移設されている。 

詩碑「潮音」

もとは仙台市宮城野区荒浜地区にあったが、2011年の東日本大震災によって同地区が荒廃し放置されていたため、2015年8月に藤村広場に移設している[4]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e 名掛丁藤村広場”. せんだいくらしのマップ. 仙台市. 2025年4月13日閲覧。
  2. ^ 仙台市政だより 令和5年(2023年)9月号』(PDF)1823号(青葉区版)、仙台市総務局広報課、2023年9月1日、8頁https://www.city.sendai.jp/shiminkoho/shise/koho/koho/shisedayori/2023-09/documents/P01-27P31-32.pdf2025年4月13日閲覧 
  3. ^ a b “「藤村広場」誕生へ 下宿跡近く 有志らで記念碑”. 河北新報: pp. 1面. (2003年12月10日) 
  4. ^ 『えきひがしONE』第15号、仙台駅東エリアマネジメント協議会、2016年11月、B面。 

関連項目




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