吉祥院 (川口市)とは? わかりやすく解説

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吉祥院 (川口市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/04 07:34 UTC 版)

吉祥院
所在地 埼玉県川口市南町2-6-8
位置 北緯35度48分17.1秒 東経139度42分15.3秒 / 北緯35.804750度 東経139.704250度 / 35.804750; 139.704250座標: 北緯35度48分17.1秒 東経139度42分15.3秒 / 北緯35.804750度 東経139.704250度 / 35.804750; 139.704250
山号 珍珠山
院号 吉祥院
宗派 真言宗智山派
本尊 毘沙門天
創建年 不詳
中興年 室町時代
中興 宥鎮和尚
札所等 北足立八十八ヵ所霊場第68番札所、武蔵国八十八ヶ所霊場第68番札所、武州足立百不動尊霊場第38番札所、武州川口七福神の毘沙門天
公式サイト 珍珠山・多聞寺・吉祥院‐埼玉県川口市真言宗のお寺
吉祥院
吉祥院 (埼玉県)
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吉祥院(きちじょういん)は、埼玉県川口市にある真言宗智山派寺院

歴史

創建年代は不明であるが、室町時代に宥鎮和尚が中興していることから、その頃までには既に存在していたものと推測される[1]

当初は荒川堤防にあり、洪水の度に地元住民によって再建され続けてきた。境内には八幡神社が置かれ、その別当寺になっていた[1][2][3]

宥鎮和尚は同市の錫杖寺を中興した僧侶である。そういう経緯により、当寺は錫杖寺の末寺となっている。一説では現在地に移転したのは宥鎮の代だといわれている[1][2][3]

当寺の本尊毘沙門天である。これは行基自ら彫ったものといわれており、太田道灌江戸城を築城する際に北の守り本尊として安置されていたが、当寺の中興時に道灌が寄進したものといわれている[1][3]

なお、かつて境内にあった八幡神社は移転時に分離し、1974年昭和49年)に氷川神社と合併し横曽根神社となっている[3]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 吉祥院真言宗智山派埼玉第一教区
  2. ^ a b 川口市郷土史会 監修『我がまち川口・再発見 元気の良い日は川口散歩』川口市、2008年、30-31p
  3. ^ a b c d 吉祥院の歴史とあゆみ吉祥院

参考文献

  • 川口市郷土史会 監修『我がまち川口・再発見 元気の良い日は川口散歩』川口市、2008年

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