吉原義雄
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吉原 義雄(よしはら よしお、1875年10月27日(明治5年9月25日[1])- 1930年(昭和5年)12月22日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
新潟県[2]南蒲原郡中之島村(中之島町を経て現長岡市)出身[3]。慶應義塾で学ぶ。農業を営み、西所村・三沼村組合村長、新潟県議、南蒲原郡議、中之島村議、同村長、村農会長、郡農会長、水利組合議員となる[2]。
1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙において新潟7区から憲政会公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務めた。1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1931年死去。
脚注
参考文献
- 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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