吉丸一昌とは? わかりやすく解説

吉丸一昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 20:09 UTC 版)

吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年明治6年)9月15日 - 1916年大正5年)3月7日)は、日本作詞家文学者教育者。代表作は「早春賦」など。東京府立第三中学校教諭東京音楽学校(現在の東京芸術大学教授大分県北海部郡海添村(現・臼杵市海添)出身。


  1. ^ 塾生には社会事業家の高橋直作がいる。
  2. ^ 「東京音楽学校職員在職年表」『東京藝術大学百年史 東京音楽学校編第二巻』P.1587教授就任は明治41年4月21日。またP.1579には「専門、担当」として「倫理、歌文、国語、修身、事務、邦楽調査掛(明治45年度-大正4年度)、唱歌編纂掛(明治41年度-大正4年度)」と記されている。
  3. ^ 『東京藝術大学百年史 演奏会篇第一巻』 P441-442。大正5年11月16日、東京音楽学校の奏楽堂にて皇后行啓演奏会があり、「御大礼奉祝合唱歌」(歌 吉丸一昌、曲 教授島崎赤太郎 謹作)などが演奏されたと記載されている。演奏会当日は吉丸一昌は没後。
  4. ^ 『東京藝術大学百年史 演奏会篇第一巻』P421-423。大正4年12月23日、御大礼奉祝演奏会(邦楽)があり、琴曲「御代萬歳」を吉丸一昌が作歌、生田流と山田流「御代萬歳」などが演奏されたと記載されている。
  5. ^ 朝日新聞「be on saturday」に尾道の特集2009年8月5日
  6. ^ ゆうべのかね/うたごえサークルおけら
  7. ^ 音楽取調掛と東京音楽学校の外国人教師たち – 東京藝術大学音楽学部 大学史史料室”. 2022年8月15日閲覧。
  8. ^ Rudolph Ernest Reuter 1888年生まれ、没年不詳、在職は明治42年(1909)-大正元年(1912)、大正3年に離日[7]
  9. ^ 村上広域情報誌2001「大和田愛羅」
  10. ^ 両神小学校ホームページ
  11. ^ 石原重雄の著作
  12. ^ 札幌北高、東京楡の会HPより
  13. ^ 千代田区立小川小学校FB
  14. ^ a b 斉藤太一 (2013年9月24日). “吉丸一昌の歌劇楽しむ 安曇野市 早春賦100年祝う集い”. 市民タイムス: p. 1 


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