口熊野と奥熊野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:22 UTC 版)
紀州藩では、熊野(牟婁郡)を和歌山から近い順に「口熊野」「奥熊野」と呼んでいた。周参見(現:すさみ町)には口熊野代官所、木本(現:熊野市)には奥熊野代官所が置かれそれぞれ両熊野の政治的中心となっていた。ただし、両熊野の境界は一定のものではなく、『紀伊続風土記』(1839)ではおおむね現串本町と那智勝浦町、田辺市中辺路町と本宮町の間を境界としているが、『南紀徳川史』(1901)では熊野川を境界としている。
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