厳嶋神社_(新宿区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 厳嶋神社_(新宿区)の意味・解説 

厳嶋神社 (新宿区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/27 08:45 UTC 版)

厳嶋神社

鳥居と社殿
所在地 東京都新宿区余丁町8-5
位置 北緯35度41分51秒 東経139度42分48秒 / 北緯35.69750度 東経139.71333度 / 35.69750; 139.71333座標: 北緯35度41分51秒 東経139度42分48秒 / 北緯35.69750度 東経139.71333度 / 35.69750; 139.71333
主祭神 市杵島姫命弁財天
社格 旧無格社
創建 1086年応徳3年)
別名 抜弁天(ぬけべんてん)
札所等 新宿山ノ手七福神
例祭 9月5日
テンプレートを表示

厳嶋神社(いつくしまじんじゃ)は、東京都新宿区余丁町にある神社である。祭神は市杵島姫命だが、これが仏教弁才天習合したため、新宿山ノ手七福神弁財天を祀る神社として知られる。通称は抜弁天(ぬけべんてん)。

当社にちなんで、付近の通りは抜弁天通りと称される。

歴史

1086年応徳3年)、鎮守府将軍源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083年~1087年)で奥州平定に向かう途中ここに宿営した。この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願した。

そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられる。

義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれ、江戸の六弁天に数えられる。

江戸時代には稲荷神社もあり、徳川綱吉による生類憐れみの令により付近に野犬のための2万5千坪の犬小屋が設置されていた。

所在地

  • 東京都新宿区余丁町8-5
    • 都営地下鉄大江戸線「東新宿」、都営バス「抜弁天」下車

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「厳嶋神社_(新宿区)」の関連用語

厳嶋神社_(新宿区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



厳嶋神社_(新宿区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの厳嶋神社 (新宿区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS