原田熊雄について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:54 UTC 版)
反乱部隊の指揮官の一人であった清原は、貴族院議員が集まり何事かを相談している華族会館を占拠し西園寺公望の秘書である原田熊雄を殺害せよとの命令を栗原安秀中尉から受け取った。逮捕後の清原の手記によると、華族会館の玄関で原田をみつけたが、その態度があまりに惨めだったので軍刀で切り捨てる気にもなれず見逃したと述べている。清原は自身が死刑を免れたのは原田を助命したからだとも主張しているが、原田はこのとき既に車で興津へと向かっており清原の説明は勘違いか捏造である。
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