南部勝信
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南部 勝信(なんぶ かつのぶ、寛文9年(1669年) - 享保17年4月24日(1732年5月18日))は江戸時代の旗本。陸奥盛岡藩の第3代藩主・南部重信の子。幼名鶴之助。通称、主計、右近。三田南部家祖。兄に七戸秀信、七戸定信、行信、七戸英信、政信、弟に通信、七戸愛信、坪内定信、七戸舜信(兄・英信養子)および姉に式姫(池田綱清正室)、七姫(本多忠英正室のち有馬豊祐正室)、妹に慶姫(八戸利戡室)、恵岐姫(桜庭兵三郎直良)らがいる。室は南部直政の娘。娘は南部信尹正室。
元禄7年(1694年)8月21日、兄・行信より陸奥国和賀・二戸二郡内の新田3,000石を分知、旗本となり寄合に列する。宝永3年知行地を蔵米に改められた。中村藩主・山内豊明の七男・信尹を婿養子として家を継がせている。
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