北斗寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 13:59 UTC 版)
| 北斗寺 | |
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北斗寺本堂
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| 所在地 | 茨城県つくば市栗原1129 |
| 位置 | 北緯36度08分00.0秒 東経140度07分07.0秒 / 北緯36.133333度 東経140.118611度座標: 北緯36度08分00.0秒 東経140度07分07.0秒 / 北緯36.133333度 東経140.118611度 |
| 山号 | 七宝山 |
| 院号 | 医王院 |
| 宗派 | 真言宗豊山派 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 弘仁12年(821年) |
| 開山 | 最仙 |
| 文化財 | 絹本着色釈迦十六善神画像、絹本着色興教大師画像、北斗寺仏儀次第(以上、茨城県指定文化財) |
| 公式サイト | 北斗寺|茨城県つくば市 真言宗豊山派 七宝山医王院 北斗寺 |
北斗寺(ほくとじ)は、茨城県つくば市にある真言宗豊山派の寺院。
歴史
821年(弘仁12年)、最仙によって開山された。当寺の本尊は最仙作の薬師如来であるが、妙見菩薩も安置しており、これが当寺の寺号の由来となっている[1][2]。
前九年の役のおり、奥州に進軍する源義家は当寺において戦勝祈願をした。その後、義家軍は阿武隈川に進軍したが、大雨による氾濫で渡河することができなかった。義家は妙見菩薩に祈願したところ、たちまち大亀が現れて、対岸まで渡してくれたという[2]。
戦国時代の兵乱を避けるために各地を転々としたが、1659年(万治2年)に現在地に移転した[2]。
文化財
- 絹本着色釈迦十六善神画像(茨城県指定有形文化財 昭和35年12月21日指定)[3]
- 絹本着色興教大師画像(茨城県指定有形文化財 昭和35年12月21日指定)[4]
- 北斗寺仏儀次第(茨城県指定有形文化財 昭和35年12月21日指定)[5]
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山門
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堂宇
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鐘楼
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本堂
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参道沿いの観世音菩薩堂
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参道入口
交通アクセス
- コミュニティバス栗原東停留所より徒歩9分。
脚注
参考文献
- プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年
外部リンク
- 北斗寺のページへのリンク