勧学寺 (桑名市)とは? わかりやすく解説

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勧学寺 (桑名市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/17 23:49 UTC 版)

勧学寺

本堂
所在地 三重県桑名市矢田266
位置 北緯35度03分41秒 東経136度40分44秒 / 北緯35.06139度 東経136.67889度 / 35.06139; 136.67889座標: 北緯35度03分41秒 東経136度40分44秒 / 北緯35.06139度 東経136.67889度 / 35.06139; 136.67889
山号 走井山
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観音
創建年 (伝)天平年中(729年 - 749年
開基 (伝)行基
札所等 三重四国八十八箇所 3番札所
伊勢西国三十三所観音霊場 31番札所
法人番号 1190005007954
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勧学寺(かんがくじ)は、三重県桑名市矢田にある、高野山真言宗の寺院。山号は 走井山(はしりいさん)。

歴史

当寺の所在地は戦国時代、矢田氏の居城であった矢田城跡の一画である。当寺の創立について、近世の地誌『久波奈名所図会』は天平年間、行基の草創と伝えるが、正確なことは未詳である。近世までは走井山(矢田城)北麓にあったが、元和年間(1615年 - 1624年)、桑名藩2代藩主本多忠政の家臣半弥なる者によって矢田城跡の現在地へ移されたという。その後、藩主松平定重(在職1657年 - 1710年)の代に本堂が再建された。

本尊の千手観音立像は城跡の西北(現在の三重県立桑名高等学校付近)にあった海善寺が廃寺となり、同寺の本尊が勧学寺へ移されたものという[1]

文化財

  • 木造千手観音立像 - 像高165.3センチメートル。平安時代後期の作。三重県指定有形文化財。
  • 仏足石 - 桑名市指定文化財[2]

所在地

  • 三重県桑名市矢田266

年中行事

  • 8月10日より十日間 十日観音法要

近隣施設・旧跡

  • 走井山公園 - 当寺の少し西にある。戦国時代、矢田氏の居城で天正5年(1577年)、織田信長家臣の軍勢に攻められ、落城した城跡である。城跡の高台に桜の木が多数あり、桜の名所となっている。

アクセス

三重四国八十八箇所の納経印は、1番札所大福田寺でうける。

脚注

  1. ^ 伊勢西国三十三所観音巡礼”. 伊勢西国三十三所観音巡礼事務局. 2024年12月17日閲覧。
  2. ^ 勧学寺(かんがくじ)”. 桑名市. 2020年9月23日閲覧。

参考文献

関連項目




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