努
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努(オンナマタヂカラ)は、日本の女性レゲエダンサーチーム[1]。
武蔵野女子大学の同級生同士で結成された。
親交のあるチームHOTTIE CATとのユニット「猫ぢから」でも活動。
メンバー
- MAI(マイ)
- RUDY-E(ルディー イー)
概要
RUDY-Eはクラシックバレエのバレリーナを目指しており、中学校卒業後はイギリスの専門学校に留学した。しかしバレエ独特の人間関係になじめず、拒食症にもなり帰国。風俗で働いた後に大検を取得し大学に進学した。そこで本格的なダンスを習ったことのないMAIの動きに惚れレゲエダンスチームを結成した。結成当時はレゲエの踊り手は少なかったがその後増加、レゲエの教室でも教えている[2]。
- 2000年、イベントで先輩格のダンスチームLOVE MILKのパフォーマンスを見て衝撃を受けたことをきっかけに、大学の同級生同士であったRUDY-E(当時の表記はERIKA)、MAI、HIROE、SHIEでチームを結成[1]。
- 2002年、SHIEが就職により脱退。
- 2004年、HIROEが脱退。2人チームとなる。
- 2006年、MAIがDANCE HALL QUEEN JAPANで優勝。RUDY-Eがベストドレッサー受賞。
- 2007年、MAIがジャマイカで行われるINTERNATIONAL DANCE HALL QEENに出場。
- 2008年、RUDY-EがDANCE HALL QUEEN JAPANで優勝。
- 2010年8月、RUDY-Eがジャマイカで開催されたINTERNATIONAL DANCEHALL QUEENでベストドレッサー賞および2位を獲得
- 2012年8月、JAPAN SQUADとしてWORLD REGGAE DANCE CHAMPIONSHIPで優勝。JAMAICA独立50周年記念の年での日本人の優勝だったため話題となり[要出典]、翌年には、代々木公園のONE LOVE JAMAICA FESTIVALにてWRDC日本予選を企画し若手をJAMAICAに連れて行くなど、積極的にフィールドを広げている。
ダンサーとしても第一線であり続けながら、MAIは司会業、RUDY-EはPROMOTER(KRAZY CLASS!!@CLUB HARLEM,BABY ROCK☆@LOUNGE NEO)やDJ(DJ RUDY)としても活躍中。
主な出演歴
TV番組
DVD
- 「ALL JAPAN REGGAE DANCERS」ONE AND G
- 「流派-R presents~B on The Table Reggae~」ネオプレックス
PV
- 「ヒノマルパワー 〜君の力〜」 MUNEHIRO
脚注
- ^ a b "努~オンナマタヂカラ~". トウキョウダンスマガジン. 2017年10月15日. 2018年6月21日閲覧。
- ^ 永井大介「池袋・歓楽街 4 踊る、頂点夢見て」『毎日新聞』(夕刊)、2006年8月4日、10面。
外部リンク
- RUDY-Eオフィシャルブログ - ウェイバックマシン(2013年3月20日アーカイブ分)
「努 (ダンサーチーム)」の例文・使い方・用例・文例
- だれも努力なしには何事も成し遂げられない
- あなたの努力は賞賛されるべきだ
- 彼がどんなに努力したかだれもわかるまい
- 我々は子どもたちにより良い未来を築くために精一杯努力すべきだ
- 結集した努力
- 成功は彼の絶えざる努力から生まれた
- 一致協力して努力する
- こんな難しい仕事には多大の時間と努力を要する
- 彼の努力は成功で報いられた
- 私は食事の脂肪分を減らすよう努めている
- 私たちの成功は自らの努力にかかっている
- 子供を救出しようと彼らは必死の努力をした
- すべての学科で優秀な成績を上げるにはたいへんな努力がいる
- 私はそれを得ようとあらゆる努力をした
- 私の努力もすべてむだだった
- 大統領はその戦争を終わらせるために多大な努力を払った
- 彼は自分の提案に票を集めようと努力した
- 私は自分の声を静かで穏やかにしようと努めた
- 試験に受かるためにあらゆる努力をする
- 努力する
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