創生園 (石狩市)
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創生園 Soseien |
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所在地 | |
座標 | 北緯43度11分31.6秒 東経141度21分48.7秒 / 北緯43.192111度 東経141.363528度座標: 北緯43度11分31.6秒 東経141度21分48.7秒 / 北緯43.192111度 東経141.363528度 |
開園 | 1990年(平成2年) |
1990年(平成2年)、生振開村120周年事業の一環として、移転した生振小学校の跡地に造成された[1]。
園内の記念碑・記念物
- 生振開村百二十年碑
- 1990年(平成2年)11月建立[2]。碑文は当時の北海道知事・横路孝弘による[2]。
- 水鴻恩
- 石狩花畔土地改良区の設立50周年を記念して、2000年(平成12年)10月8日に建立された[3]。碑文は当時の農林水産大臣・中川昭一による[3]。
- 開田之碑
- 生振地区における造田と稲作の歴史を偲んで、1990年(平成2年)10月10日に建立された[4]。
- 中嶋源五郎句碑
- 1990年(平成2年)建立[5]。生振小学校の初代校長・中嶋源五郎は、「桃下」と号する俳人でもあり、1944年(昭和19年)に愛知団体が入植五十年祭を催した折に彼が寄せた祝いの句「怠らぬ 鍬の光や 畑うち」が刻まれている[5]。
- 戦没者慰霊平和祈念碑
- 日露戦争から太平洋戦争に至るまで、生振地区から出征した戦没者30名を慰霊するため、1990年(平成2年)8月15日に建立された[6]。
- 水田揚水大型ポンプ
- かつて石狩川から水を汲み上げていたもの[1]。
- 岩鉄塊
- 太平洋戦争中まで採掘されていた鉱物[1]。
ギャラリー
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生振開村百二十年碑
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水鴻恩
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開田之碑
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中嶋源五郎句碑
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戦没者慰霊平和祈念碑
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水田揚水大型ポンプ
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岩鉄塊
脚注
参考文献
- 『石狩の碑 第三輯』石狩市郷土研究会〈いしかり郷土シリーズ〉、2006年2月28日。
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