内藤浜治
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内藤 浜治(ないとう はまじ、1877年〈明治10年〉3月5日[1] - 1937年〈昭和12年〉9月24日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
兵庫県[2]加西郡、のちの多加野村(現加西市)で生まれた[3]。1897年(明治30年)東京帝国大学農学科卒。日露戦争に参加、陸軍騎兵中尉に進む。兵庫県立農学校、同赤穂農学校教諭兼校長を歴任し、兵庫県会議員、同参事会員、村長を務める[2]。また、加西郡農会副会長、同畳表同業組合長、同畜産組合長、播州紡績、北播水力電気、日本製棉製紙、播磨縄莚各(株)取締役、播州石粉、播州算盤各(株)社長、中播電気、播州水力電気、北条銀行、関西土木電気興業各(株)監査役となる[2]。
1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙において兵庫9区から憲政会公認で立候補して当選する[4]。衆議院議員を1期務め、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙で落選した[5]。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙では兵庫3区から中立系(無所属)から出馬したが落選した[6]。1937年に死去した。
脚注
参考文献
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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