内藤信直 (三郎右衛門)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 17:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動内藤 信直(ないとう のぶなお、? - 明暦2年8月30日(1656年10月17日))は、江戸時代前期の旗本・内藤信広の子。金弥、三郎右衛門。母は三宅康信の娘。妻は荒川定安の娘。
寛永12年(1635年)に将軍徳川家光に初めて御目見し、翌13年に書院番の番士となる。16年に300俵となるが、慶安3年(1656年)8月7日、父・信広の遺領から1000石の采地を分与された。
明暦2年(1656年)、駿府城の守衛の際に病となり、江戸への帰途において死去したという。
法名は宗円。葬地は父・信広に同じとされている(「寛政譜」13巻206頁)。嗣子なく絶家となった。
出典
- 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 206頁
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