兜潟弥吉とは? わかりやすく解説

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兜潟弥吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 23:09 UTC 版)

兜潟 弥吉(かぶとがた やきち、1824年 - 1882年2月2日[1])は大相撲の力士。最高位は横綱五条家免許)。本名・畑 弥吉[2]、旧姓・[1]

経歴

京都伏見の生まれ。父は大垣藩戸田氏の側近である林久吉。のちに、母方の姓である畑姓であるを名乗る。幼い頃から伏見にある母方の実家で相撲に親しんだ[1][2]

その後、京都相撲の初代錣形岩右衛門に弟子入りし、師の没後には2代目錣形岩右衛門に弟子入りした。また、孝明天皇の身辺警護を務め、御前にてあぐらを勅許された話が伝わっている[2]

1868年、明治天皇の大坂行幸の際に錦旗奉持を務めた。1871年には、五条家より横綱を免許され、祇園北林にて横綱土俵入りを行い、京都相撲の横綱二号となった[注釈 1]。1872年に引退し、1873年に頭取となった。1882年に58歳で没。墓は善想寺にある[1][2]

脚注

注釈

  1. ^ 善想寺のホームページでは京都相撲最後の横綱とされているが、兜潟の死後である1899年に大碇紋太郎が横綱となっている[3]

出典

  1. ^ a b c d 横綱草紙」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d 善想寺について | 善想寺”. zensoji.or.jp. 2025年4月6日閲覧。
  3. ^ 横綱草紙」国立国会図書館デジタルコレクション



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