児玉時国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 07:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年1月) |
児玉 時国(こだま ときくに、生年不詳 - 1284年?)は、鎌倉時代の児玉郡の豪族。通称は六郎(右衛門尉)。文永年間にその名を確認できる。日蓮信者。
文永8年(1271年)10月、日蓮が鎌倉幕府に捕らえられ、佐渡に流刑になった際、その途中で出会い、帰依したとされ、自邸に招き、教えを請うたとされる。日蓮が幕府に許された後にも招いたとされる。その後も度々日蓮の教えを請う為に身延山を訪れ、のちに自邸の一角に草庵を建て、信仰した。この館を寺にしたのが玉蓮寺であると伝えられている。
久米家(時国の子孫とされ、玉蓮寺に墓地がある)の伝承では、時国は庄氏流蛭川氏の子孫とされる。
『本朝高祖年譜』には、「文永8年(1271年)10月13日、児玉宿、児玉時国之家」とあり、時国の子孫が現在の児玉町児玉に在住し、六右衛門と称したと記述されている。
固有名詞の分類
- 児玉時国のページへのリンク