光円寺 (鎌ケ谷市)とは? わかりやすく解説

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光円寺 (鎌ケ谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 08:19 UTC 版)

光圓寺
所在地 千葉県鎌ケ谷市北初富6-1
位置 北緯35度46分41.1秒 東経139度59分29.8秒 / 北緯35.778083度 東経139.991611度 / 35.778083; 139.991611座標: 北緯35度46分41.1秒 東経139度59分29.8秒 / 北緯35.778083度 東経139.991611度 / 35.778083; 139.991611
山号 宝海山
宗派 真宗大谷派
創建年 明治40年(1907年
開山 石川玄西
文化財 土地紀念講碑(鎌ケ谷市指定文化財)
公式サイト 千葉県|鎌ケ谷市|宗教法人光圓寺|法事|追悼|供養|法要|墓|墓地|葬儀
法人番号 9040005004307
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光圓寺(こうえんじ)は、千葉県鎌ケ谷市にある真宗大谷派寺院

歴史

1907年明治40年)、石川玄西によって開山された。当地はかつて江戸幕府小金牧であり、明治初期に大規模な開墾が始まった。門徒浄土真宗の信徒)の入植者は、同県東葛飾郡松戸町(現・松戸市)の西蓮寺に出向いていた。西蓮寺の住職茨城県岡田郡報恩寺村(現・茨城県常総市)の「報恩寺」住職の石川玄西を紹介した。玄西は入植者のために1907年(明治40年)に寺を創建したのが当寺の起源である[1][2]

その後、1934年昭和9年)に改修が行われた。現在の本堂は1974年(昭和49年)に新築されたものである[2]

文化財

  • 土地紀念講碑(鎌ケ谷市指定文化財)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ ご案内光圓寺
  2. ^ a b 村崎勇 著『鎌ヶ谷の歴史』崙書房、1975年、137p
  3. ^ 鎌ケ谷市の文化財鎌ケ谷市

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