元天錫
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元天錫(げん てんしゃく、ウォン・チョンソク、1330年 - 1402年)は 高麗末期から李氏朝鮮初期に活躍した学者、隠士。本貫は原州元氏[1]。号は耘谷。耘谷、元天錫とも呼ばれる。精勇別将の元悦の孫、宗簿寺令の孫。宗簿寺令の元允迪の子。王子時代の太祖の師を務めたが、政治には関心を示さず李朝の官を拒んだ。
- ^ “(81)원주 원씨(原州元氏)-109,505명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月15日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ 出典 耘谷行錄序 詩史序で朴東亮によるもの。
- 嘗聞原州人元天錫在麗末隱居著書。言禑,昌父子非辛出事甚悉。
- 逮我朝。閉門終身。其淸風峻節。直可與圃,冶諸公相伯仲。
- 而子孫祕其書久益密。人無得以見者。幷與其名遂泯泯不傳於世。
- 後二百年。余按節到是州。適得其所爲詩耘谷集。雖所紀不多。與向所聞異。
- 要之不失爲特筆也。嗚呼。方禑之嗣王位也。
- ^ 定昌府院君、すなわち後の高麗の第34代国王である恭譲王である。
- ^ 禑王(前廃王または辛禑)と昌王(後廃王または辛昌)をさす。
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