俣野景久の活躍とその後の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 02:24 UTC 版)
「俣野氏」の記事における「俣野景久の活躍とその後の衰退」の解説
冒頭で述べた通り、景久が俣野氏の初代である。彼は平安時代末期の治承・寿永の乱において平氏方につき石橋山の戦いなど各地で転戦したもの、最後は信濃国飯山で敗死したため、その後の俣野氏の動向は明らかでない。俣野にあった大日堂(現・御嶽大神)は鎌倉景正ゆかりのものであったが、『吾妻鏡』によると、景久死後は荒廃していたというから、鎌倉時代には既に没落していたものと思われる。
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