俊仁の横死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:51 UTC 版)
俊仁が55歳のときに唐土を従えようと考え、3000叟の船に50万騎を従えて攻め、渡海した印として神通の鏑矢を天に射ると7日7夜に渡って鳴り響いた。しかし恵果和尚が不動明王と矜羯羅、制多迦を引き連れると、不動明王は金剛童子を日本へと派遣し、自らも日本に渡って自分を勝たせるなら日本の仏法の守り神となろうと毘沙門天に誓った。すると俊仁の毘沙門天の剣は光を失って折れ、不動明王の降魔の利剣が俊仁の首を落とした。
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