佐須奈村
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佐須奈村(さすなむら)は、長崎県上県郡にあった村。1955年(昭和30年)に南隣[1]の仁田村と合併し、上県町となった。
- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月1日
- ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郷」
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郷」
- ^ 深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。上記のうち深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊の6村は1876年(明治9年)に統合され、佐護村となった。
- ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
- ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1]、[2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
- ^ 地内は東里・西里・南里・北里に分かれる。
- ^ 室町時代の文書には「佐須那」の表記も見られる。また現在の大字佐須奈において「佐須奈甲○○番地」「佐須奈乙○○番地」のように、住所上の地番の先頭に十干が付加されている。これは『津島紀事』に記載されている江戸時代までの佐須奈村の枝里である日吉(ひよし)と大地(おおち)の名残とみられ、甲はかつての大地とその周辺山間部、乙はかつての日吉とその周辺山間部の区域に比定される。
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