佐野正安とは? わかりやすく解説

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佐野正安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 15:01 UTC 版)

 
佐野 正安
時代 戦国時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 与八郎[1]
戒名 正庵[1]
官位 右馬助[1]
主君 松平清康家康
氏族 佐野氏[1]
正吉[1]
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佐野 正安(さの まさやす)は、戦国時代三河国武士

生涯

三河国額田郡大幡碧海郡野畑を領した武士で、西三河の有力国人松平氏に従った[2][1]

享禄2年(1529年松平清康による今橋城攻めに従軍し、城下の下地での合戦で戦功があったため、碧海郡下和田に所領を与えられた[3][1]三河一向一揆渦中の永禄7年(1564年)に清康の孫・家康より下和田領の安堵を受けていることが確認される[注釈 1][5]

子孫は引き続き松平・徳川氏に仕え、近世には多数の旗本家を出した。著名な子孫に佐野政言がいる[1]

脚注

注釈

  1. ^
    下和田熊野宮之事
    一 神官座主分之事
    一 彼宮屋敷竹木之事
    右条〻、永出置之上者、座主分田地、於何方雖有之、聞出次第請取、彼宮之修理可仕、同宮役引得之輩、於無沙汰者相改、神官可為計之、若下和田何方雖出置之、於彼宮地者、如前〻不可有相違者也、仍如件。
      永禄七年甲子
        卯月四日 家康(判)
          佐野与八郎とのへ — 『譜牒余録』後編巻第七 諸旗本之一「佐野与八郎書上」松平家康判物写[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』, p. 25.
  2. ^ 林 1981, § 野畑村.
  3. ^ 林 1981, § 下和田村.
  4. ^ 『新編岡崎市史』6, pp. 1154–1155.
  5. ^ 『新編岡崎市史』2, pp. 840–841.

参考文献




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