佐賀空襲
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佐賀空襲(さがくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年8月5日23時半ごろから翌日午前1時ごろにかけ[1]、佐賀県佐賀市の南部や旧川副町、旧諸富町などを襲った空襲。日本本土空襲の1つ。65機のB29により攻撃され、死者61人、焼失家屋443戸という被害が出た。前日には、ビラまきにより爆撃の予告も行われていた[2][3][4]。
- ^ “①朗読劇「楠の木は見ていた」(佐賀空襲を語り継ぐ会)【第29回佐賀市平和展】”. 佐賀市. 2021年2月15日閲覧。
- ^ a b 佐賀空襲を記録する会 2012.
- ^ a b c d e f g 佐賀市史 1979, p. 846-847.
- ^ a b c 『わが郷土北川副町の歴史』p.74(佐賀空襲、佐賀の歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベース)、2023年5月18日閲覧)
- ^ 佐賀空襲を記録する会 2012, p. 321.
- ^ 佐賀空襲を記録する会 2012, p. 323.
- ^ “歴史 北川副小学校のあゆみ”. 佐賀市立北川副小学校. 2023年3月12日閲覧。
- ^ 『久保田町史』pp.705-707(久富東、佐賀の歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベース)、2023年5月18日閲覧)
- ^ 『東与賀町史』p.1204(焼夷弾による爆撃、佐賀の歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベース)、2023年5月18日閲覧)
- ^ 『鍋島町史』p9.(佐賀県立ろう学校、佐賀の歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベース)、2023年5月18日閲覧)
- ^ 「旧練兵場及び土取」、佐賀の歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベース)、2023年5月18日閲覧
- ^ 佐賀市史 1979, p. 846.
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