佐藤助九郎 (12代)とは? わかりやすく解説

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佐藤助九郎 (12代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 14:40 UTC 版)

12代 佐藤助九郎

12代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1896年(明治29年)10月22日[1] - 1979年昭和54年)12月5日[1][2])は、大正から昭和時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員富山県東礪波郡柳瀬村長。

経歴

富山県東礪波郡柳瀬村(砺波町を経て現砺波市)出身[3]。先代佐藤助九郎の二男・健太郎として生まれ、1931年(昭和6年)家督を相続する[4]1918年(大正7年)早稲田大学専門部政治経済学科卒業[5]

1919年(大正8年)以降、中越銀行[注 1]勤務、富山県スキー連盟会長、富山鉄道佐藤工業各社長、高岡新聞社[注 2]、高岡劇場各取締役、中越無尽[注 3]監査役、北日本新聞社長[1]のほか、柳瀬村長、同村産業組合長、同村農会長を務めた[5]

1939年(昭和14年)富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年月9月29日に就任し[6]同成会に所属し[2]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた[5]

親族

脚注

注釈

  1. ^ 北陸銀行の前身行のひとつ。
  2. ^ 北日本新聞の前身のひとつ。
  3. ^ 富山第一銀行の前身行のひとつ。

出典

  1. ^ a b c 「佐藤助九郎 3代」『富山大百科事典 上巻』733頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』201頁。
  3. ^ 人事興信所 1943, サ40頁.
  4. ^ a b 人事興信所 1943, サ39頁.
  5. ^ a b c 衆議院、参議院 1960, 193頁.
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
  7. ^ 『人事興信録. 第14版 上』大谷米一

参考文献




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