佐藤健治 (政治活動家)とは? わかりやすく解説

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佐藤健治 (政治活動家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 08:29 UTC 版)

佐藤 健治
さとう けんじ
生年月日 (1957-08-14) 1957年8月14日
出生地 日本 東京都
出身校 横浜国立大学経済学部卒業
前職 中曽根康弘衆議院議員秘書
日本電信電話公社NTTコミュニケーションズ社員
所属政党 自由民主党亀井派・旧中曽根派→)
無所属
称号 経済学士(横浜国立大学)
子女 佐藤大志(長男)
親族 佐藤孝行(父)
選挙区 北海道8区
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佐藤 健治(さとう けんじ、1957年昭和32年〉8月14日 -)は、日本政治家。元自由民主党北海道第8区支部長、北朝鮮に拉致された日本人を救出する会道南代表、ニチロ会最高顧問。

来歴・人物

海城高校横浜国立大学経済学部経済学科卒業。

日本電信電話公社及びNTTコミュニケーションズ勤務を経て、2003年7月に自由民主党北海道第8区支部長に就任。

同年11月の第43回衆議院議員総選挙北海道8区)に自由民主党公認で出馬するも[1]。総裁派閥の清和研が支援する新人前田一男保守分裂選挙となり、民主党現職金田誠一に敗れ落選[2][3]

2005年北朝鮮に拉致された日本人を救出する道南の会(救う会道南)代表に就任。函館出身の拉致被害者・小住健蔵、道南出身の特定失踪者・渡辺栄一(今金町)森洋子(函館市千歳町)・名取志津子(北檜山町)の奪還運動に従事する。[4]

2005年第44回衆議院議員総選挙では114,141票を獲得するも金田に連敗し、落選[2]

2009年第45回衆議院議員総選挙では公認を得られず無所属で出馬し、前ニセコ町長逢坂誠二に完敗、三度目の落選となった[5]

脚注

出典

  1. ^ 佐藤けんじ 公式ホームページ”. www.satoukenji.jp. 2025年7月28日閲覧。
  2. ^ a b 衆院選道8区 小選挙区制導入以降、民主系8勝 自民1勝」『北海道新聞北海道新聞社、2024年10月15日。2025年7月28日閲覧。
  3. ^ 保守分裂で共倒れ」『函館新聞函館新聞社、2003年11月10日。2025年8月27日閲覧。
  4. ^ 北朝鮮拉致、「救う会道南」発足」『函館新聞函館新聞社、2005年5月29日。2025年8月27日閲覧。
  5. ^ 逢坂氏の得票率62・6%」『函館新聞函館新聞社、2009年9月1日。2025年8月27日閲覧。



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