佐々成政が越中を統一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 13:43 UTC 版)
1582年(天正10年)3月、神保長住は上杉氏についた小島職鎮、唐人親広らに富山城を急襲され、城内に幽閉されて失脚し 、替わって富山城主となったのが、佐々成政である。 ただし織田信長が佐々成政を越中に封じた時期については、前年2月の上杉氏による小出城攻囲への救援の功を賞して天正9年に既になされていたとする説がある。なお、越中一向一揆や織田氏と富山城の争奪戦を繰り広げた上杉氏では、天正年間の一時期、富山城のことを「安城」と呼称していたとする古くからの説があるが、近年の研究では概ね否定的なようである。
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