佐々成宗
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佐々 成宗(さっさ なりむね、1479年(文明11年) - 1555年1月1日(天文23年12月8日))は、室町時代後期から戦国時代中期の武将。斯波家臣(織田家臣)。成政の父。諱は盛政とも。
生涯
文明11年(1479年)、尾張に生まれる[1]。井関城を根拠としていたが、天文年間初めに比良城へ移った。その頃には、織田氏ではなく斯波氏に仕える重臣となっていた。成宗は、堀場宗氏の娘を娶った。成宗の子供は、長男政次と次男孫介、三男成政 、四男長穐。しかし、孫介は弘治2年(1556年)に稲生の戦いで戦死、政次も永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで戦死した。そして成宗は天文23年12月8日(1555年1月1日)に死去した(『尾張佐々系譜』)[1]。享年76。
脚注
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