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伊藤東一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 03:27 UTC 版)

伊藤東一郎

伊藤 東一郎(いとう とういちろう、1879年12月18日[1] - 1950年10月5日[2])は、日本の政治家衆議院議員(3期)。

経歴

岐阜県[2]海津郡、後の城山村[3][4](現海津市)出身。茨城県立水戸中学校卒業後は郷里に戻っていたが、1900年12月より一年志願兵として名古屋歩兵第6連隊第3中隊に属する[5]日露戦争に従軍後、陸軍歩兵中尉で除隊[2][6]。その後は輪西中普通水利組合会議員、石津村議、岐阜県議、同参事会員、同副議長、自作農創調査委員、小作、金銭債務各調停委員となる[2]。ほか帝国在郷軍人会海津郡連合分会長、大日本砂防協会評議員となる[2]

1936年第19回衆議院議員総選挙において岐阜1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選[7]。以来連続3回当選する。1942年第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選する[8]。戦後は日本進歩党に入ったが、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[9]。追放中の1950年死去。(死去後の1951年に追放解除[10]。)

親族

中学在学中、名古屋の軍人の妹と結婚[11]。1900年秋に一子をさずかるも、徴兵中の1901年9月に妻は死去している[12]

脚注

  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、17頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』46頁。
  3. ^ 小木曾修二『濃飛文化史』岐阜タイムス社、1952年、207頁。
  4. ^ 太田村とも
  5. ^ 『梧陰塾報』梧陰塾、1901年5月、66頁。NDLJP:1538088/33 
  6. ^ なお、同戦争では同じ連隊にいた同姓同名の曹長が戦死しているため注意が必要。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』109頁。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』127頁。
  9. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日1面。
  10. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。
  11. ^ 『梧陰塾報』梧陰塾、1899年9月、49頁。NDLJP:1538085/22 
  12. ^ 『梧陰塾報』梧陰塾、1901年12月、65頁。NDLJP:1538083/35 

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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