任鴻宰
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任 鴻宰 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 임홍재 |
漢字: | 任 鴻宰 |
発音: | イム・ホンジェ |
各種表記(創氏改名・通名) | |
漢字: | 豊川 宰雨 |
任 鴻宰(イム・ホンジェ、朝鮮語: 임홍재、1901年4月1日[1] - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国の公務員、政治家。第3・4代仁川府尹[2]。創氏改名による日本名は豊川 宰雨[3]。
経歴
京畿道龍仁郡(現・龍仁市)出身。ソウル特別市の路上で拉致され、家族によって失郷私民(拉北者)申告書が出された時点での情報ではソウル刑務所(西大門刑務所)に拘禁されたとされる。以後消息不明。
脚注
- ^ “4233.임홍재 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年9月24日閲覧。
- ^ “홈>인천소개>인천안내>역대시장 | 인천광역시 대표”. www.incheon.go.kr. 2023年9月24日閲覧。
- ^ 『創氏名鑑 昭和15年8月10日現在』朝鮮新聞社、1941年1月16日、215頁。NDLJP:1908877/114。
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