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任忠彬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 04:53 UTC 版)

任忠彬
陸軍参謀総長交代式における任忠彬(2009年9月21日)
生誕 1950年5月12日
韓国 忠清南道天安郡(現在の天安市)
所属組織 大韓民国陸軍
軍歴 1973 - 2009
最終階級 大将
除隊後 忠南大学校客員教授
平和安保大学院講師
未来国防フォーラム議長
大韓民国星友会政策諮問委員[1]
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任忠彬
各種表記
ハングル 임충빈
漢字 任忠彬
発音: イム・チュンビン
日本語読み: にん ちゅうひん
ローマ字 IM CHUNG-BIN
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任 忠彬(イム・チュンビン、朝鮮語: 임충빈1950年5月12日 - )は大韓民国軍人、教育者。陸士29期。最終階級は陸軍大将。第39代陸軍本部参謀総長。

予備役編入後、忠南大学校客員教授、平和安保大学院講師などを務めている。

人物

忠清南道天安郡(現在の天安市)に生まれる。1968年、城南高校朝鮮語版を卒業後陸軍士官学校に入学。

陸士卒業後は主に捜索部隊での職を歴任し、中将進級と同時に陸軍第1軍団軍団長に就任。開城工業団地送電線の建設や地雷除去を支援した。韓国陸軍士官学校校長を経て第38代大韓民国陸軍参謀総長に就任。陸士校長から直接陸軍参謀総長への大抜擢は初のケースであった。

敬虔な仏教徒としても知られ、国軍仏教総信徒諮問委員もつとめた[2]。退官式も鷄龍台護国寺で行われた。

予備役編入後、忠南大学校客員教授、平和安保大学院「軍事戦略」科目の講義を担当し[3]、未来国防フォーラム議長を務めている[4]

人物像

部下に激励の手紙を送り意見を聞いて回るなど、几帳面且つ温厚篤実な性格で知られ、「徳将」との呼び声が高かった[5]

年譜

  • 1973年 - 陸軍士官学校第15歩兵師団朝鮮語版38連隊 捜索中隊小隊長(~74年)
  • 1977年 - 第1歩兵師団12連隊 第10中隊長(~78年)
  • 1984年 - 第8機械化歩兵師団 捜索大隊長
  • 1985年 - 東国大学校行政大学院行政修士
  • 1986年 - 第3歩兵師団作戦参謀(~88年)
  • 1992年 - 第32歩兵師団朝鮮語版98連隊長
  • 1994年 - 国防部 政策調整課長
  • 1998年4月 - 大統領秘書国防秘書官(~2000年10月)
  • 2000年11月 - 第17歩兵師団朝鮮語版師団長(~2002年10月)
  • 2003年5月 - 陸軍教育司令部朝鮮語版教育訓練省部長
  • 2004年10月15日 - 中将、陸軍第1軍団軍団長
  • 2006年12月5日 - 陸軍士官学校校長(~2008年3月19日)
  • 2008年3月21日 - 陸軍本部参謀総長

栄典

脚注

軍職
先代
朴興烈朝鮮語版
大韓民国陸軍参謀総長
第38代:2008.3.21 - 2009.9.21
次代
韓民求
先代
金善洪
韓国陸軍士官学校校長
第45代:2006.12.5 - 2008.3.19
次代
キム・ヒョンソク
先代
金善洪
陸軍第1軍団軍団長
第43代:2004.10 - 2006.12.5
次代
章光一
先代
第17歩兵師団朝鮮語版師団長
第?代:2000.11 - 2002.10
次代



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