他の年代記のログネダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 03:54 UTC 版)
「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の記事における「他の年代記のログネダ」の解説
他のルーシの年代記には、ログネダとウラジーミルにまつわる話が所収されている。それは以下のような内容である。 ウラジーミルには多くの妻と妾がいたが、989年にビザンツの皇女アンナと結婚し、キリスト教(正教)をルーシの国教とした。このためログネダはウラジーミルに捨てられてしまう。ログネダはウラジーミルを殺害することを決意した。しかしその企ては失敗し、激昂したウラジーミルはログネダに剣を向けたが、ログネダとウラジーミルの間の第一子であるイジャスラフが駆け寄り、剣を手に母を庇った。ウラジーミルは息子の前でログネダを殺すことができず、ログネダとイジャスラフは、ウラジーミルによってポロツクの地である、シヴィスラチ川上流の街に幽閉された。この街はイジャスラフの名にちなみ、イジャスラヴリと名づけられた。イジャスラフは後にポロツク公となり、幽閉された母を救おうとするが果たせず、1000年、ログネダはイジャスラヴリで亡くなった。 この物語はポロツク公国とキエフ大公国との間の対立を描いたものの1つとされている。
※この「他の年代記のログネダ」の解説は、「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の解説の一部です。
「他の年代記のログネダ」を含む「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の記事については、「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の概要を参照ください。
- 他の年代記のログネダのページへのリンク