京都在留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:47 UTC 版)
文久3年1月8日(1863年2月25日)、臨時御用立陣を以って江戸表へ差立てられ、京都に通過の際、御詮議振を以って京都在留を仰せつけらる。 同年1月26日(1863年3月15日)、江戸表の智鏡院様(山内豊熈の夫人・候姫)御帰国御用を以って、用意調(ととのい)次第、江戸表へ差立るよう仰せ付けらる。八月十八日の政変の後、同年8月23日(1863年10月5日)、貞誠院様附き御祝儀本締役と御弘式役を兼帯仰せ附けられ、役料米八石を下し置かれた。この勤務のため、同年9月7日(1863年10月19日)、京都へ差立てられ、来る9月21日(太陽暦11月2日)、乗船するよう仰せ付けらる。
※この「京都在留」の解説は、「乾正厚」の解説の一部です。
「京都在留」を含む「乾正厚」の記事については、「乾正厚」の概要を参照ください。
- 京都在留のページへのリンク