京都七口関とは? わかりやすく解説

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京都七口関

読み方:キョウトナナクチノセキ(kyoutonanakuchinoseki)

中世京都に入る七街道入口にあった関所


七口の関

(京都七口関 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/24 08:06 UTC 版)

七口の関(ななくちのせき)とは、中世に地方より京都に入る7つの街道京都七口〈きょうとななくち)に設置された関所のこと。京都七口関(きょうとななくちのせき)という呼称も存在する。


  1. ^ 内蔵寮率分は山科家、御厨子所率分は万里小路家主殿寮率分は壬生家衛門府率分は東坊城家今出川家と定まっていた。これらの家は収入の一部を自家の収入に充てることを許され、また関銭の免除と引き換えに本所として座を支配して経済的利益に与るなど、困窮する中世公家の生活を凌ぐ手段ともなった。
  2. ^ 嘉吉の徳政一揆の際には幕府は民衆の要求に押されて8月に関所の廃止を命じたものの、11月には万里小路時房らの抗議を受けた朝廷の命令を受けて大部分が復活されている。
  3. ^ 後に山城南部を支配した山城国一揆とは別の一揆である。


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