京田憲治とは? わかりやすく解説

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京田憲治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 01:38 UTC 版)

京田 憲治
基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 1947年
選手情報
ポジション 内野手外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

京田 憲治(きょうだ けんじ)は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手

来歴・人物

鹿児島玉龍高校で3年生の時に遊撃手として活躍し、1965年夏の甲子園県予選鹿児島実業高校を破り、夏の甲子園への出場を果たす。1回戦では武相高校と対戦。1回裏に大会第1号本塁打を放ち、2点を先制するが、のちに逆転され敗退した。高校同期に投手の瀬田豊文らがいた。

同年のドラフト会議西鉄ライオンズから14位指名されたが入団を拒否[1]

高校卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験、しかしその後は優勝に届かなかった。大学同期にエースの土井池憲治捕手の田中鞆雅(日本石油)、内野手の中沢春雄らがいた。

卒業後は社会人野球の住友金属に入団する。1971年の都市対抗野球では、新日本製鐵広畑の補強選手として出場。三塁手として活躍し、チームの優勝に貢献。同大会の優秀選手に選ばれた[2]。同年の第9回アジア野球選手権大会日本代表となる。1973年の都市対抗野球では、左翼手として出場。翌年の都市対抗野球では、新日本製鐵広畑の補強選手となり、中堅手として出場した。

脚注

  1. ^ 過去のドラフト 第1回(1965年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月25日閲覧。
  2. ^ 「日本社会人野球協会会報1971」日本社会人野球協会 1972年

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