安友定吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 00:45 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |  日本 | 
| 出身地 | 徳島県 | 
| 生年月日 | 1947年 | 
| 選手情報 | |
| ポジション | 外野手 | 
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| 
       選手歴
       | |
| 
       監督歴
       | |
| 
        この表について
        | |
安友 定吉(やすとも さだよし)は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは外野手。
来歴・人物
徳島商業高校で3年生の時に主将になり、1965年春の選手権に左翼手、四番打者として活躍し、2回戦で育英高校の鈴木啓示から大会2号本塁打を放つ。チームは準決勝に進むが、その準決勝で平松政次らがいた岡山東商業高校に敗れた。同年の夏の選手権でも出場したが、岩崎忠義らがいた津久見高校に敗れた。高校同期に一塁手の鵜飼克雄、捕手の渡辺立也らがいた。
同年のドラフト会議で西鉄ライオンズから6位指名されたが入団を拒否[1]。
高校卒業後は四国電力に入社。翌年の都市対抗野球に出場した。1967年の第22回選抜社会人野球東京大会の準々決勝で、レフトへ決勝点を放つ活躍を果たしたが、準決勝で日本石油に大敗した[2]。同年の都市対抗野球でも大倉工業の補強選手として出場した。1968年の産業対抗野球では優秀選手に選ばれた[3]。
脚注
- ^ “過去のドラフト 第1回(1965年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月25日閲覧。
- ^ 「日本社会人野球協会会報1967」日本社会人野球協会 1968年
- ^ 「日本社会人野球協会会報1968」日本社会人野球協会 1969年
関連項目
- 安友定吉のページへのリンク

 
                             
                    



