于邵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 于邵の意味・解説 

于邵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 21:25 UTC 版)

于邵(う しょう、生没年不詳)は、文人政治家は相門。本貫京兆郡万年県

経歴

天宝末年、進士に及第した。文章にすぐれ、崇文校書郎に任じられた。比部郎中を経て道州刺史となったが、赴任しないうちに巴州刺史に転じた。巴州で飢饉が起こり、少数民族のが反乱を起こして、城下にせまった。于邵は兵を率いて防戦するいっぽう、使者を派遣してをなだめ、于邵自身も儒服を着てと会見すると、は矛をおさめて引き揚げていった。節度使の李抱玉がこのことを奏聞すると、于邵は梓州刺史に任じられたが、病を理由に受けず、兵部郎中に任じられた。崔寧がに入ると、于邵は度支副使となった。まもなく諫議大夫知制誥となり、礼部侍郎に進んだ。三司使となったが、薛邕の事件に連座して、桂州長史に左遷された。太子賓客として復活したが、宰相の陸贄と合わず、杭州刺史として出された。病のため引退を願い出ると、衢州別駕に左遷され、さらに江州に移されて、死去した。享年は81。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「于邵」の関連用語

1
2% |||||

2
2% |||||

于邵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



于邵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの于邵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS