二代目:井上金之助
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井上愛吉の実子である井上金之助は東濃太田の大親分梅屋一家・梅屋嘉六の子分となってその跡目を継承するが瀬戸町に住み、東濃地方をも費場所として領した。瀬戸一家は本来であれば愛吉の子分である河本良助が跡目を継承するべきであるが、愛吉の死後に金之助が二代目を継承した。この頃広大な縄張りを有し勢力も増したため“東海道第一”と称された。子分に“四天王”小森守一(大井派を起こす)、佐金次こと佐藤金次郎(岐阜県笠原)、安藤義一、建中寺政五郎こと平野政五郎がおり、実弟の志貫之助こと浅井梅太郎、二宮こと浅井竹次郎、舎弟の片桐新太郎、水野丑次郎らは四天王と合わせて“天下”(又は八天下)と称された。また舎弟の妻木ノ常八こと小林常八(品野派を起こす)、松波甚六(高山に松波派を起こす)、子分の松原繁十(のちの三代目)、関東熊こと吉沢熊吉(多治見派を起こす)らも傑出していた。1907年(明治40年)頃に没す。
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