乙息記可汗とは? わかりやすく解説

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乙息記可汗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 02:28 UTC 版)

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乙息記可汗(İssıq qaγan、漢音:いつしょくきかがん、拼音:Yǐxījì kĕhàn、? - 553年)は、突厥可汗伊利可汗の子(『周書』)。乙息記可汗というのは称号で、姓は阿史那氏、名は科羅(Qara、カラ)という。『隋書』では伊利可汗の弟で逸可汗と表記。

生涯

西魏廃帝元年(552年)、伊利可汗が死に、その後を継いで可汗に即位し、乙息記可汗と号す。乙息記可汗は早速、柔然可汗の鄧叔子沃野鎮の北の木頼山にて破る。

西魏の廃帝2年(553年)3月、乙息記可汗は西魏に遣使を送って馬5万匹を献じた。乙息記可汗が病死し、弟の俟斤(イルキン:官名)が立ち、木汗可汗と号した。

参考資料

  • 周書』(列伝第四十二 異域伝下)
  • 隋書』(列伝第四十九 北狄



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