丹波島宿とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 丹波島宿の意味・解説 

丹波島宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 04:23 UTC 版)

丹波島宿(たんばじまじゅく)は、長野県長野市丹波島にあった北国街道の宿場。

概要

慶長16年(1611年)、領主であった越後高田城松平忠輝が発出した「伝馬宿書出」により、犀川以北にあった水内郡太子村、押切村、米村、入殿村を対岸の更級郡丹波島村に移し、伝馬宿として成立[1]。近世を通じて25人25疋の人馬を常備する定めであった。

宿場の中央に本陣と問屋があり、柳島家が世襲した[2]。宿場の西端には於佐加神社が鎮座し、火除けとして秋葉神社が勧請された。東端には枡形があり、宿場の北方には「丹波島の渡し」が設けられ、善光寺の南の玄関口として重要な機能を担った。明治6年(1874年)に船橋が架けられ、渡し場は廃止された。

脚注

  1. ^ 「長野市誌」p.809
  2. ^ 「街道と宿場」 p.104

参考文献

  • 信州歴史の道研究会(解説) 編『街道と宿場』三橋秀年(写真)、信濃毎日新聞社〈信州の文化シリーズ〉、1981年4月。全国書誌番号:82000780 
  • 『長野市誌 第3巻近世1』 2001年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  丹波島宿のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「丹波島宿」の関連用語

丹波島宿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



丹波島宿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの丹波島宿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS