中西昭雄
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中西 昭雄(なかにし てるお、1941年5月29日 - )は、編集者。東京生まれ、京都大学文学部卒業。朝日新聞で『アサヒグラフ』や『週刊朝日』に携わったのち、1983年に月刊誌「ペンギン・クエスチョン」(現代企画室)を創刊。「日本寄せ場学会」や「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の設立に参加する[1]。
経歴
- 1941年、東京生まれ。
- 1965年、朝日新聞社入社。『アサヒグラフ』『週刊朝日』『アサヒカメラ』などの編集に携わる。
- 1980年、朝日新聞社退社
- 1983年、月刊誌「ペンギン・クエスチョン」(現代企画室)創刊
- 1985年、編集工房「寒灯舎」設立
- 1987年、「日本寄せ場学会」設立に参加
- 1991年、「日本の戦後責任をハッキリさせる会」設立の参加
著書
単著
編著
共著
- 『マスコミ床屋政談』、社会評論社、1987年
脚注
- ^ “漱石『門』から世相史を読む 中西 昭雄(著/文) - 作品社”. 版元ドットコム. 2024年10月12日閲覧。
外部リンク
- 家計で読み解く明治 『漱石『門』から世相史を読む』中西昭雄著、伊藤氏貴評、産経新聞
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