中村信敏
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中村 信敏(なかむら のぶとし、1903年(明治36年)1月23日[1] - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の法律家。元東京高検刑事部長、退官後、弁護士としてロッキード事件、日通事件等に携わる。妻・榮子は陸軍少将篠原四郎の長女[1]。
略歴
1903年(明治36年)、北海道小樽市にて生まれる[1]。1928年(昭和3年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格後、検察官に任官し、1931年(昭和6年)9月東京地方裁判所検事に任官される[1]。検察官として中野正剛の逮捕事件、炭鉱国管疑獄事件などに携わる。東京高等検察庁刑事部長などを務め、1951年(昭和26年)退官後[1]、弁護士として、ロッキード事件で児玉誉士夫、日通事件で福島敏行の弁護人を務める。
1978年(昭和53年)11月17日に死去。
脚注
参考
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