中安定安とは? わかりやすく解説

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中安定安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/24 10:01 UTC 版)

 
中安定安
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 元亀元年(1570年
別名 兵部
戒名 勇将殿茂山玄栄大居士
墓所 竜泉寺
主君 大沢基胤
氏族 中安氏
父母 父:堀江清泰
彦次郎康勝ら

中安 定安(なかやす さだやす)は、戦国時代武将

経歴

中安氏は遠江国佐田城主・堀江為清の次男・堀江豊種が中安氏として中安兵部豊種を名乗ったのが始まりという。

佐田城主・堀江新右門清泰の子として誕生。浜名湖の東岸に位置する堀江城を有した大沢氏の大沢基胤に従っていた。

堀江城の戦いで徳川家康に攻められるが、後に和議が成立すると基胤と共に本領を安堵され家康に降る。その後元亀元年6月28日1570年8月9日)の姉川の戦いに従軍し、近江国浅井郡姉川河原[1]で戦死したという。

堀江村の平に埋葬されたという「茂山塚」 が残る。菩提寺は竜泉寺。定安より数え12代目の武彦が昭和44年(1969年)竜泉寺において先祖の供養を営み、石灯籠を寄進した。

脚注

  1. ^ 現在の滋賀県長浜市野村町付近。

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