中国籍をとり事業を拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 14:29 UTC 版)
1913年、林資鏗は霧峰林家の家長の地位を頂厝家系の族叔林献堂に譲って、廈門の鼓浪嶼に移住した。そして日本国籍を放棄し、中華民国政府に国籍の取得を申請して11月18日に許可された。 この後、余慶信用公司、南靖墾牧公司、華封疏河公司、竜岩煤砿公司など多くの事業に関わった。また北京政府の福建護軍使黄培松から招軍特派員に任命され、さらに匪賊が横行していたため黄培松から北渓下游清郷督弁に任命され、鼓浪嶼で軍事教練を行い、匪賊に備えた。
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