上野国多胡郡正倉跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 15:35 UTC 版)
上野国多胡郡正倉跡(こうずけのくにたごぐんしょうそうあと)は、群馬県高崎市吉井町池にある、奈良時代から平安時代にかけての正倉跡。古代多胡郡の郡役所の遺跡である。国の史跡に指定されている。
概要
和銅4年(711)に建郡された上野国多胡郡における,田租や出挙で徴収した稲などを収納する倉庫群跡である。真北約350mには、多胡郡の建郡を記した日本で唯一の建郡碑である特別史跡・多胡碑が建っている。正倉院の区画としては南北幅約210m,北辺の東西幅55m以上で、幅2~3mの溝で囲まれている。区画内からは礎石建物が2棟検出され、その他にも、礎石と思われる大型の石の分布や瓦の堆積などから、多くの建物があったことが推定される。このうち、北端で検出された礎石建物は、梁行3間・桁行7間の大型で、基壇付きの総瓦葺建物である。遺物としては、瓦、炭化米のほか、先述の総瓦葺建物付近から壁土と思われる被熱粘土塊が出土しており、長元3年(1030)の『上野国交替実録帳』に記載のある土倉があったことを傍証する資料である。多胡郡の建郡に伴って新たに建てられた正倉跡であり、古代官衙の実態や律令国家の税の徴収、地方の支配の在り方を考える上で重要である。
文化財
国の史跡
- 上野国多胡郡正倉跡 - 2020年(令和2年)3月10日指定、2021年(令和3年)10月11日に史跡範囲の追加指定[1]。
脚注
外部リンク
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